アドラーのいう『課題の分離』ってHSPにも有効なのか考えてみた
こんにちわ、YOUです。
『相手は相手、自分は自分』と上手に切り分けられたらどんなに生きやすいか。
大人気著書である岸見さんの『嫌われる勇気』
私はたぶん合計10回は読み直してて、
本当に現代の生きる人にとって大切なことを伝えてくれる著作だと思います。
また単なる自己啓発ではなく、この世に生きるすべての人が活用できる実学だと考えます。
かくいう私も読んだ後は、「あぁ、この考え方取り入れたらどんなに生きやすいか」と何回も感じ、辛い時は常にこの本を読むようにしてました。
でもHSPの私にとって困難なことが1つだけあります。
それは
『課題の分離』です。
読んだ方にはお馴染みのフレーズかもしれませんが、ひとことで言うと
『相手は相手、自分は自分と割り切る考え方』
一見、シンプルな考え方ですがHSPの方にとってはこの捉え方が難しいと感じます。
いわゆる『ある問題・課題に対して責任を負うのは誰なのか』を考える思考法です。
例えば
勉強しない子供がいたとして大抵の親は、その子どもに対して「勉強しなさい!」と口を出すとします。なぜ口を挟むかというと、勉強しなかった場合、受験に合格できなかった子どもたちが後悔することになる。だから大抵の親は子どもの将来を心配して口を出します。
ただここでアドラーは
『その問題・課題に対して誰が責任を負うのか』を考えさせます。
もし希望の学校に合格できなかったとき、責任を負うのは親ではなく、
その子どもたちです。
だから口を出すのではなく『援助する姿勢を示すこと』だ大切だと。
『相手は相手、自分は自分』
そう切り分けることで、悩みも減るし生きやすくなると説きます。
でも、HSPのひとは相手の目がすごく気になって
『課題の分離』なにそれ、おいしいの?状態だと思います。
さっきの例は相手に干渉する親の例でしたが、
他の例で言うと
- 仕事ができない自分に対して、上司がどう思っているか
- ミーティングのときに、この発言したら他の人はどう思うか
など、相手の気持ちを慮るあまり生きづらさを感じているHSPの方は多いように感じます。
HSPは先天的に植え付けられた脳の仕組みなので、上手に課題を切り分けることは難しいと思います。
なので、私が思うのはまずは
『環境を調整する』
ことが最も最善な解決への近道だと思います。
アドラーが提唱する課題の分離は響く人には響くかもしれませんが、HSPの人が無理に実世界で応用しようとすればするほど、できない自分に自己嫌悪になっていくと思うので、
まずは環境を調整し、その中でうまく相手と自分を切り分ける術を学んでいくことが得策なのではないかと考えます。